今から約35年前、私と教頭との間に第一子(つまり副園長)が生まれてから、二人でこんな話をしました。
「子どもは授かりものと言うけど、僕達夫婦の持ちものではないよね。いつか大人になったら、親元を離れ自立して行く。その時まで神様からでも、天からでもいいけど、一時お預かりしている、と考えてはどうだろう。お預かり期間中は精一杯育て、よい環境を与える努力はするけど、けして僕達の所有物ではないと思っておこう」
果たしてその結果が良かったかどうかは、皆様の判断に委ねますが、子離れ・親離れは比較的スムーズにいった方だと思います。

ひとつの家庭も、個人のもの、私のものではなく「公(おおやけ)」であるという考え方があります。武士道の世界では、それが色濃く続いていました。
私はそれが古臭いとか、時代遅れとは思いません。それどころか、近年益々「家庭も公である」という考え方が(殆ど失われているからこそ)大切になってきていると思います。
園児達はいつの日か成人し、社会人となりこの国を担っていきます。ですから、我が子も「社会からお預かりしている」、または「社会から子育てを委ねられている」と考えてみては如何でしょうか。
そして預かっている以上は、いつか「お返し」する日がきます。我が子を社会に「お返し」する。その時に沢山の人のお役に立てる人になっているように育て上げるのが、親の役割であり、真の子育てではないでしょうか。
考えてみて下さい。将来我が子が大勢の人達から「君が必要だ」、「あなたがいてくれないと困る」と言われている姿を。きっと子どもにとっても、親にとっても、それは幸福な瞬間であり、幸福な人生だと思います。

幼稚園と園児の関係も、似たようなところがあります。園児さん達は、幼稚園の持ちものではありません。日中の数時間を、幼少期の数年間を一時お預かりしているようなものです。信頼されて預けてもらった以上、精一杯お世話するのは当然として、教師達の力の限りに教え、導く義務があります。
話が変わるようですが、私の大学の同級生の多くは、小学校の先生をしていました。殆どの者は定年を迎えたり、再就職したりしていて、少々心と時間の余裕が出来たのかライングル―プなどをつくり、近況報告などをしています。先日私が「こんな立派なホールで発表会をするんだ」と掲載したら、「やはり私学は違うね。公立小学校に入ったら、保護者はがっかりするんだろうね」と返信がありました。
公立小学校がどんな発表会をするのか、全く関心がありません。幼稚園在園中(つまり、お預かり期間中)にどれだけ良い経験を与えられるか、にしか興味が無いからです。

さて卒園・進級が近まってきました。「先生のお蔭で」というお褒めの言葉を、どれほど先生達が頂くことが出来るのでしょうか。