私も、保護者の皆様も、中学や高校時代に英語の授業では「英語を身に着けると、世界で通用するぞ。外国人とコミュニケーションがとれるぞ。だから英語を勉強しよう」と、言われたのではなかったでしょうか。もっともそんな建前より「受験の必須科目だから」という現実的な理由もあったのですが・・・。
英語が出来ると世界で通じる、それは将来この子が大人になっても変わらない、そのような前提の下での考えであり、当時の子ども達もそう思っていました。
ところがどうでしょう。自動翻訳機なる商品もありますし、パソコンやスマホの翻訳機能は近年格段に進歩しています。
リモートワークでZOOM会議を行っている方も多いでしょう。個人的に「リモート飲み会」を経験した方も、沢山いらっしゃることかと思います。
スマホやタブレットでZOOM会議が出来るとなれば、例えば私が日本語で話した内容が、瞬時に画面で英語の(フランス語でも中国語でも)字幕が流れる。私の手元画面では、相手の外国語が日本語字幕に表れる、そんなことはすぐ実現するでしょう。
頭のカタイ人は「それでは外国の人と直接コミュニケーションがとれない」と言うかもしれませんが、スマホを外国人に向けるとイヤホンで翻訳された日本語が聞こえる、またはメガネの裏側に日本語字幕が流れる、これも時間の問題でしょう。そのようなことが実用化された時代にそれでも「英語の先生」は、授業をするのでしょうか?それとも失業?
これからのAI時代は、私達に二つの課題を与えます。一つ目は「時代の変化に合わせて、大切にしてきたものを捨てる勇気」。幕末に福沢諭吉という人がいました。彼は蘭学(オランダ語)を懸命に学び、その第一人者となりましたが、横浜の外国人居留地に行って看板の文字が読めないことにショックを受けます。世界はオランダ語ではなく、英語であることを察した彼は、必死に身に着けたオランダ語を捨て、英語を学び直します。
その結果、福沢諭吉は開国・明治維新・文明開化に大きく貢献する人物となりましたが、最後までオランダ語にこだわった蘭学者達は、時代に取り残されていきました。
人は誰でも大切にしてきたものを捨てるには痛みが伴います。私のような初老の男性にとっては、最も苦手なことです。それでも今後のAI時代には求められる決断です。
二つ目の課題は「未知なるものへの好奇心をもつ」ことです。そのためには、初めてのことに対して常に心を開く生き方が求められます。ところがこれは、案外難しいのです。皆さんの学生時代に受験勉強でも、クラブ活動でも先生が「今日から新しいことやるぞ」と言ったら「え~」と言いませんでしたか?今までやってきたことでも大変だったのに、また新しいことを覚えたり、やらなきゃいけないのか、と。第一の課題とも共通しますが、人は慣れたことをするのが好きです。何故なら、その方が楽だからです。
この真逆が幼稚園児です。先生が「新しいことやりますよ」と言うと、子ども達は「何だろう?!」と目を輝かせます。
 知識ではなく知性を磨く。いつも学びそのものを楽しむ。新しいことを歓迎する。どうやら、子ども達がお手本になりそうです。