園児さん達を乗せた降園バスの最終便が出る頃、小学生の下校時間となります。時折、幼稚園の近くを通る卒園児が、私に「こんにちは!」と挨拶をしてくれますが、私は無意識に「こんにちは」ではなく、「おかえり」と返答します。卒園児の中には「ただいま」と言う子もいて、思わず微笑ましくなります。

よく考えると、小学生は帰宅途中であり、お家には到着していないのですから「おかえり(なさい)」は、間違っているのかもしれませんが、私達は不自然に感じることはありません。私はここに、日本語の奥深さを感じます。
私から「おかえり」と言われた小学生は(まして「ただいま」という子は)どことなく迎え入れられたような、自分の居場所に戻ってきたような、居心地の良い気持になることでしょう。

何故かと申しますと、日本語の「おかえり」には、よく無事に帰ってきましたね、あなたに会いたかったよ、あなたの帰る場所はここですよ、などというニュアンスが大いに含まれているからです。
また「帰る場所」とは、家族の待つ家庭であったり、地元であったりする「場所」なのでしょうが、更に「あなたをあなたのままで、優しく迎え入れて、受け止めてくれる人々や、その空間」をも含めて考えても、良いかと思います。
ちなみに英語で「ただいま」は「I’m home」
とされていますが、直訳するとヘンですよね。ネイティブの方は「ただいま」も「おかえり」も、お互いに「Hey」「Hello」「Hi」の言葉のやり取りで、済ませているそうです。

お坊さんのお話では「おかえり」には、二つの仏教思想が流れているそうです。
一つは「縁起(えんぎ)」。この世にあるもの(当然、人も含めて)は、別々に存在するのではなく、全て繋がっているという考え。
もう一つは「諸行無常」。いつも同じということは無く、常に移り変わり、現象としていつ何が起きても不思議ではない、という考え方です。
世界を見渡して、日本ほど自然災害に多く見舞われる国は無いでしょう。毎年必ず来る台風や、全国各地にある火山脈や断層によって引き起こされる地震などの風水害を永年に亘って日本人は体験してきました。だからこそ「無常・常なるものは無い」という思想が根底にあるのだと思います。ですから、より一層「今日も我が子が無事に帰って来た」ということに価値を見出し、感謝の心をもつのかもしれません。

ご両親共にお仕事に就いているご家庭も多い中、全ての子ども達が帰宅した時に「おかえり」と声を掛けてもらえる訳ではないと、私も理解しています。しかし今回述べましたように、子ども達が帰って来るところは、単なる「場所」ではなく、皆様方の存在そのものが、子ども達にとって戻るべきところです。どこで出迎えても、精一杯の思いを込めて「おかえり」と言ってあげましょう。