秋の気配も深まり、朝晩は肌寒さを覚えるようになると、温泉に行きたくなりますね。その点で九州は、名湯の宝庫と呼ぶにふさわしく、本県でも多数の温泉がありますし、少し足を伸ばせば熊本、大分、佐賀と温泉地の名前をあげればキリがありません。
その中で先駆けて全国的に有名になったのが由布院です。私は小学生の頃(1960年代)、家族でほぼ毎年のように由布院を訪れていました。当時のわが家にはマイカーが無く、いつも久大線(勿論、当時は国鉄)しかも蒸気機関車で行った記憶もあります。
その当時の由布院は、田舎のひなびた温泉地という感じで、現在の雰囲気とは全く違う様子でした。しかも東へひと山越せば、熱海と並ぶほどに有名な温泉地の別府がある訳で、訪れる観光客の数、温泉街としての賑わい等その差は歴然としていました。
ですからその頃、由布院出身者が「君の出身地はどこですか?」と聞かれて、「由布院です」と答えても、なかなか理解してもらえないので、仕方なしに「別府のひと山裏です」と答えざるを得なかったそうです。(今では信じられませんね)
そのような中で、「子ども達が、この町に生まれて良かった、僕の故郷は由布院です、と胸を張って言えるようにする」ことを目標に立ち上がった青年達がいました。その中心になったのが「玉の湯」の溝口薫平さん、「亀の井別荘」の中谷健太郎さん、そして「夢想園」の志手康二さんらでした。
さて先日、その由布院の亀の井別荘を訪れ、中谷健太郎さんのお話を伺うという幸運に恵まれました。
78歳になられたという中谷氏でしたが、お元気でかくしゃくとされており、穏やかさと鋭さが両立している不思議なオーラがありましたが、お話を伺いながら「佇(たたず)まい」という、普段は滅多に使わない言葉を連想しました。
亀の井さんにせよ、玉の湯さんにせよ一度でも(宿泊しなくても)ご覧になった方はお分かりになるかと思いますが、手入れの行き届いたお庭の美しさ、水音と風による木々の葉音しか聞こえない静寂、それらは誰の心にも響くものがあり、名旅館の佇まいとして見事です。
中谷氏も(一昨年、お会いした溝口氏も)旅館と同じような佇まいを感じさせる人物でした。つまり共通するのは、「時間を積み重ねて築き上げられた価値」ということです。
普段私達が手にする物は、買ったばかりの新品の時が百点で、使うにつれて価値が下がります。例えば、100円均一で買ったコップは、使うにつれて曇ったり、ヒビが入ったりして価値が100円からだんだんと下がっていきます。これを「経時劣化」と言います。
これに対して「経時進化」するものもあります。その代表は「人」です。子ども達は、その最も理解しやすいお手本ですね。年々成長し、発達していきます。大人も負けていられません。私達は百均のコップではないのですから、年々価値が下がっていくようでは悲しいものがあります。「若さ」こそ失っても、経験やそこで得た知識や知恵を積み重ね、人としての佇まいが美しいとされる姿を目指してみませんか?子ども達のためにも・・・。