「子どもが私の言うことを、ちっとも聞いてくれません・・・」
いつの世も保護者の口から出る悩み、愚痴です。そんな時に私は「まあ、そんなもんですねえ」と、曖昧な相槌をうつことが多いのですが、内心では「でも大人だって、子どもの言うことを、あんまり聞いてやっていないものですよ」と、思う時があります。

たとえば散歩の途中で、子どもが「あっ、虫がいる。捕まえよう」と言っても、「虫なんていいから、行きますよ」。遠くからサイレンが聞こえてくると「救急車(消防車)が見たい」と言っても、「見なくていいです」。食事中に「お茶のおかわり!」と言えば、「そんなにお茶ばかり飲むと、ご飯が入らなくなるでしょ」etc
子どもの口から出る言葉の大半は、だいたいこのようなものばかりで、深刻な相談や要望は殆どありません。
人間だれしも、日常こんなことを数多く考え、大人はすぐに実行出来ます。本屋さんで立ち読みをしようと思えば、3分でも30分でも時間の許す限り立ち止まります。電車に乗る時、先頭車両に乗ろうと思えば、その通りにしますし、座って行きたいと思えば、次の電車を待つことも出来ます。
これを子どもがすると「そんないつまでも読んでるんじゃないの」、「電車なんて、別に何両目でも良いじゃない」と、親は言ってしまうものです。
つまり子どもにとって、望みが叶うか、叶わないかは親しだい。自分の力では、どうにもならないことが殆どなのです。
とんでもないワガママは別としても、「虫を採りたい」、「救急車を見たい」という子どもらしい、ささやかな願いも「お茶を飲みたい」という要望すら、なかなか叶いません。こんな状況の中で、ひとつの原理原則が生まれてきます。それは

人は自分の話を聞いてくれる人の言うことは聞く
自分の言うことを聞いてくれない人の言うことは聞かない

子どもは満足すると、心の状態が安定します。すると心に余裕が生まれ、それまで聞けなかった大人(親)の言うことも聞けるようになります。
大満足ではなくても、ちょっとの満足で良いのです。虫を探すのも1分間でも良いのです。救急車を見るのも、本屋さんで絵本を見るのも1~2分で充分です。
大切なことは、その時の子どもの気持ちを察してあげて「○○したいのね」と、一度は受け入れ、優しい言葉をかけてあげて下さい。幼稚園の先生が上手なのはここです。自分の感情や都合は表面に出さず、一度まるごと園児の気持ちを受け止めてあげます。だから、園児達は先生を信頼し、大好きになり、先生の言うことを、よく聞くようになるのです。

子どもは、自分に優しい人、自分の言うことを受け止めてくれる人の「言うこと」は、ちゃんと聞き入れようとするものです。これは大人も同じかもしれませんね。