皆様は「小笠原流礼法」という言葉を、お聞きになったことがありますか。800年以上続く武家作法であり、立ち居振る舞いから食事(和食)のマナーまで、日本人の美しい所作が凝縮されています。
先日、幼稚園の園長や理事長が集まる研修会にその小笠原流礼法の総師範がみえて、講演や指導をして下さいました。作法ですから、座り方やお辞儀の仕方など様々な動作の「型」がある訳ですが、礼儀作法で最も大切なことは「相手を第一とする、相手を思いやる心」だ、とされたことが強く印象に残りました。

例えば襖(ふすま)の開け方。ご存知のように取っ手の部分を持って少し開ける→正座している自分の半身の所まで開ける→中に入れるように更に開ける、という手順があるのですが、それもただそういう決まりになっているからそうする、のではなく最初に少し開けるのは、その際に室内の様子や会話を察知するためであり、察知した上で、今このタイミングで入って良いと判断したなら次の動作へ、今は良くないと思えば、そっと閉めるという細やかな心配りが込められているのです。

また自分が発する「音」に絶えず注意しなさい、という教えもありました。会議中、不必要にカチカチとボールペンをノックする人がいたら、その音は耳触りであり、周囲の人達を不快にしますよね。
実はこの時の研修会で、多くの参加者は自分のノートにメモをとっていたのですが、ある一人の若手園長はノートパソコンに直接入力していて、その際のキーボードのカタカタいう音が、確かに耳触りだったのです。
総師範からこの耳障りな音についてお話があった時、参加者全員の「オマエのことだよ」とする視線が彼に向き、笑いがこぼれました。

更に興味深い話もありました。総師範が都内のある有名女子高で作法の指導をした時、その学校は成績順にクラス編成がされていたそうですが、最も優秀な1組は全員きちんとした姿勢で授業を受けているのに対して、2組3組と進むうちに、だんだんと姿勢が悪くなる、つまり「成績と姿勢は、正比例する」ということなのですね。
私はこの時、以前TVで観たサラ金の取り立てをする人の話を思い出しました。返済を滞納する人間の家には共通点があるそうで、①脱いだ靴や服が散乱している ②万年床 ③台所のシンクに汚れた食器が山盛り、だそうです。お金にルーズなことと、生活がだらしないことも、正比例するようです。

幼稚園は日々子どもの保育や、お世話を行うのですが、先生方の視線の先には20年後の子どもの姿があります。将来、いつの日か「先生が立派に導いてくれたから、こんな大人になることが出来ました」と、教え子から言われる場面を思い描くのです。
卒園児さんも、進級する園児さんにも素敵な未来が訪れるように、これからも更に精進して参ります。