ある日の教室での先生と園児との架空のやりとり。
先生「みなさん、廊下は走らないようにしましょう。分かりましたか?」
園児「ハイ!」
でも、その後も廊下を走る子があとを絶ちません。先生は「私はちゃんと言ったのに」と、少々不満ぎみです。よくありそうなシーンです。これは「伝えたこと」と「伝わったこと」は、必ずしも一致しない、という一例です。
私はあるセミナーで、「発信したものが情報ではない。相手の心の奥深くまで届いたもの、心に深く刻み込まれたものだけが情報なのだ」という話を聞いて、深い感銘を受けました。(十年近く前に参加したセミナーでの話を、今でも覚えているということは、不勉強な私でもよほど心の奥深くまで届いた証拠でしょう)
私も園長として先生方に様々な話をします。時には「あんなに言ったのに、ちっとも実行出来ていない」と、憤慨することもあります。皆様の中にも、我が子にいくら注意をしても、それが守られないと「も~、この子は」と思ってしまうことがあるでしょう。
これらは、本人は「言ったつもり」「伝えたつもり」になっていても、相手には「伝わっていなかった」という現象なのです。伝わったとは、「いや~、ホントにその通りだな」と、腑(ふ)に落ちるとか、納得がいく瞬間なのでしょう。更に聞いた人が行動に移したり、それまでの行いが改められたりすれば、伝わった証拠なのだと思います。
これほど伝えるとは難しいことなのです。ある心理学者が子どもの頃を回想して、自分が悪いことをして、それが親に見つかった時、「○○ちゃん、ちょっとそこに座りなさい」と母親と二人仏壇の前に正座して、こんこんと説教をされた。あれは子ども心にもキツかったし、こたえたなあ、と語ってありました。これが昔の母親の「伝え方」でした。それでは現代の母親は、どうやって伝えたらいいでしょうか。
私は「ひと筋の涙」だと思います。いくら母親がワーワー言っても、子どもは聞き流してしまいます。まして体罰では心を閉ざしてしまい、益々話を聞かなくなるでしょう。
多くを語らず、じっと我が子を見つめ、やがて沈黙の中、母親の両眼からひと筋の涙が・・・。子どもにとって「お母さんを泣かせてしまった」とは、大罪なのです。また最も愛する者の涙を見ることは、子どもとっても一番悲しく、辛いことなのです。
更に蛇足的な助言をすれば、子どもの「行為」を責めても、その子の「人格」を責めてはいけません。そして最後に「あなたは、本当は良い子なのよ」と言ってあげて下さい。
それにしても、この手法はご主人にも有効かもしれません。ヒステリックに騒ぎ立てるより・・・。もし、教頭が私に向けてそんな態度をとったら(まあ、ないでしょうが)即座にゴメンナサイを百回位言うことでしょう。