久留米あかつき幼稚園 園長 藤田喜一郎

本年度の年長さんより、月に和歌を一首覚えてもらうことにしました。昨年度までは俳句を毎月三つ覚えるのが課題でしたが、それを一つ減らして、和歌を加えたのです。初年度となった今年は、私が小倉百人一首を中心に「今月の和歌は、これ」と、定めました。

朝日を浴びて輝く美しさ、満開の時期を経て、ひとひら、ひとひら舞い落ちる可憐さ、潔さ、それらを観て「ああ、美しいな」と思うのが日本人の感性です。久留米市と姉妹締結をしているモデストという街がアメリカにあり、サンフランシスコから、車で二時間ほどの距離に位置しています。昨年の二月に上智大学名誉教授である渡部昇一先生の「日本人の美しさについて」という講演を拝聴しました。この講演会は幼稚園の理事長や、園長向けの研修の一つだったのですが、改めて日本人として生まれた幸せと、それを次世代へ引き継ぐ使命を教えて頂きました。その時の講演の中で渡部先生から「幼稚園の時代に、日本人の心や、日本人としての美しさへの感性を育んでもらいたい。そのために和歌を教えて欲しい」という言葉がありました。例えば「春」。日本人にとって春のイメージ、もしくは春の美しさの象徴(シンボル)は桜です。断じてチューリップではありません。(チューリップの美しさを否定している訳ではありませんので、誤解なく)

今から十五年ほど前にモデストが集中豪雨の被害を受けたことがあり、細かい経緯は省略しますが、私が久留米市長のお見舞いのメッセージを携えて、モデストを訪問することになりました。その道中、見渡す限りのアーモンド畑があり、車窓から桜の花に似た淡いピンクの花が満開の風景を延々と観ることが出来ました。私は通訳兼運転手さんに「日本の桜の花に似ていますね。日本ではよくお花見をしますが、これくらい見事だと、沢山の人が集まって来るのではないですか」と聞くと、「いいえ、農家の人だけです」という返事でした。このように日本人とアメリカ人の感覚は異なります。(もっとも、アメリカでは公園や浜辺での飲酒は法律で禁じられていますから、日本スタイルのお花見は不可能です)

さて、二月の和歌は菅原道真公の「東風吹かば 匂ひをこせよ梅の花 主なしとて 春なわすれそ」でした。これを卒園旅行で訪れた太宰府天満宮の「飛梅」の前で朗唱したのです。(素晴らしいでしょ?)そして三月、最後に覚えるのは松下村塾・吉田松陰先生の「今日よりぞ 幼心を打ち捨てて 人と成りにし 道を踏めかし」(今日からは子どもっぽい甘えた気持ちを捨て去り、これから立派な人となるための道を歩んで参ります)です。

卒園すれば、年長さん達は「園児」から「生徒」となります。保育という言葉は「保護育成」から成っていますが、これからは保護を離れ、独り立ちしなければなりません。その準備は完了しました。よき船出を祈ります。