素直な子って、素敵ですよね。我が子が親であろうと、先生であろうと、何か言われたらすぐに「ハイ」と返事が出来る子だったら、なんと素晴らしいでしょう。
幼稚園では100%と言っても過言ではないほど、園児は先生の言葉に対して「ハイ」と素直に返事をします。天の邪鬼な私から見れば、その何割かは「条件反射」的にハイと答えているだけと思いますが、それでも返事をしないとか、「イヤ」と言うよりはマシ、と考えます。
家庭では、なかなかそうはいきません。二歳前後では自我の目覚めと共に「イヤイヤ」を連発する時期があり、幼稚園時代でも自己主張が始まると、素直にハイが出にくくなってきます。
では何故、幼稚園では素直にハイと言えるのに、家庭では言えないのか。大きな理由は(良い意味での)甘えです。もし、園児が大人の会話が出来るとしたら、「今日も幼稚園で一日、担任の先生に良いとこを見せたり、級友との人間関係をうまいことやったりしてさ、疲れちゃったよ。家に帰ったら、少しはリラックスさせてくれよ」等と、発言するのではないでしょうか。このように同じ子が、幼稚園と家庭とで違う態度を示すのは、ある意味で自然なことです。
ただし、家庭においても重要なこと、人としての根幹を成すようなことについては、厳しく「ハイ」の返事を求めるべきだと思います。「ならぬことは、ならぬ」というように。
大人にとっても「素直」は、子どもと変わらぬほど、いえそれ以上に大切なものです。時おり「私は素直な性格じゃないから」と口にする人がいますが、私から見れば、そんな人は「残念な人」です。何故なら、素直とは生まれ持っての性格ではなく、後天的に獲得すべき「能力」だと思うからです。
誰もが生まれた瞬間から先天的に運転免許証を持っている訳ではありません。18歳を過ぎてから教習所に通い、訓練を受け、試験に合格して後天的に免許を獲得します。それと同じことなのです。

ひとつ注意したいのは、言われたことに何でもカンでも「ハイ」と返事をすることは、素直ではありません。そういうのを「盲従(もうじゅう)」と言います。また、何か言われた瞬間に「だって、でも・・・」と言い返すのは、素直の対極にあります。
大人の素直さとは、言われたことに対して、いったん受け止めることです。そのうえで「理解する努力」をするのです。その後に、「先ほど言われたことを、一所懸命考えてみましたけど、今ひとつよく分かりません。畏れ入りますが、こんな私でも分かるように、もう一度教えて頂けませんでしょうか」と言うのが、素直な態度だと思います。

何か言われて、すぐ「ハイ」と言えないもう一つの理由は、損得勘定が駆け巡るからです。「今言われた内容は、自分にとって損か?得か?」と考える分、返事が遅くなります。「それは善ことか、悪いことか」と考えれば、返事は速くなります。そのことは、本園の「善人教育」の目指すところでもあります。