新年明けましておめでとうございます。今年も子ども達にとって、そして皆様方にとりましても素敵な思い出深い一年になりますよう、お祈り申し上げます。

昨年一年間、私は百冊以上の本を読み、沢山の講師のお話を伺いました。その中で最も印象的な出逢いは、永く小学校の教諭を勤め、その後は社会教育家として精力的にご活躍の平(たいら)光雄先生でした。
小学生に「感謝」について教える場面を、紹介して下さいました。
「暗い、の反対語は?」
「明るい」
「速いの反対語は、遅いだね。では、ありがとうの反対語は?」
「死ね」、「バカ野郎」、「うざい」・・・等々「答えは『当たり前』です」
「えっ?」
「ありがとうの語源は、『有り難い』。つまり、『ある』ということが『難しい』ということなんだ。『あるということが、なかなかないことなのに、ある。それは幸せなことだ。ああ、ありがという』と」
「だから、あるのが当然、と思っていることは『有り難い』の正反対。『ありがとう』の反対は『当たり前』ということなんだ」

生まれた時から空調完備の家で育ち、テレビもDVDも観放題、三度の食事にプラスして、お腹が空いた時のオヤツを欠かしたことが無い子ども達は、「何もかも、あって当たり前」として今日まで過ごしています。
そんな子ども達に「感謝」する心を持たせるには、自然と身につくまで待つより、親や教師が意識的に育てていかねばなりません。

どうしたら「ありがとう」が、素直に口から出る子になるでしょう。私は大人が「ありがとう」と発している場面を、沢山子どもに見せることだと思います。ご夫婦の間でも、お茶をついでくれて「ありがとう」、何か手伝えば「ありがとう」と、お互いに感謝の言葉を交わしている。買い物に行った際には、レジの人に(売ってくれて)「ありがとう」、バスを降りる時に運転手さんに「ありがとう」と、少し意識すれば謝意を表す機会は、身の周りに沢山あるものです。その姿、態度を子ども達に見せて頂きたいと思います。
ちなみに本園の先生方には「お疲れ様・禁止令」を出してあります。お疲れ様とは、外国語に翻訳不可能な美しい日本語であると私も思いますが、若い先生方はアルバイト経験からか「ただ言えば良い」という感覚が染み付いています。朝一番に私に会っても「園長先生、お疲れ様です」と言うように。(齢はとっても、朝から疲れてないよ!)
先生方は、お疲れ様ですの代わりに、ありがとうございます、と言っています。次に機会がありましたら、その通りかどうか、そっとチェックしてみて下さい。

貴重な学びを与えて下さった平先生は、私が講演を拝聴した一週間後に他界されました。先生の志を受け継いで、今年も子ども達の教育に邁進して参ります。