子育てとは夫婦揃っていても、なかなか大変なことです。本来であれば、そこにおじいちゃんやおばあちゃん、隣のおじさん、おばさんまで加わって、つまり五・六人の大人が一人の子を見守って、やっと育てられるものです。
ところが核家族化や、更に近年の社会環境の変化により、そんなことは「日本昔話」みたいな、あり得ない状況になっています。

今、アメリカでは三人に一人の子どもが、未婚の母から産まれているとのことです。アメリカのような超競争社会で、女性が子どもを女手ひとつで育て上げなくてはならないとしたら、それは想像以上の厳しさがあることでしょう。
私は母子(父子)家庭が、必ずしも悪いとは思いません。母子家庭であっても、そこに深い親子の絆が生まれ、立派な子どもが育っているケースを、過去に本園でも多数拝見することが出来ています。
子育てで最も大切な要素の一つに、子育てを通じて親が親らしくなっていく、つまり人間らしくなっていくという重要なことがあると思います。
皆さんもご経験があると思いますが、子どもが誕生した瞬間から、全ては子ども中心で家庭内のペースがつくられます。今日は疲れているから、少しゆっくりと過ごそう、などと思っても、子どもが許してくれません。
子どもが熱を出せば、たとえ夜中でも救急病院に駆け込むように、どんな「自己チュー」な母親(父親)でも、自分の都合より、子どもの都合や状態を優先するものです。
先ほど「親らしくなる、つまり人間らしくなる」と書きましたが、立派な人間(大人)とは、自分の都合や欲望を圧縮して、その空いた隙間に他者を思いやる気持ちを持てる人のことを示すと思います。

アメリカでは33%の子どもが未婚の母親からということですが、イギリスでは40%、フランスでは50%、福祉大国とされるスゥーデンでは60%の子どもが未婚の母から産まれてきているそうです。
これはつまり、それだけ大量の男性が自分の子どもの子育てに関わらない状況になっているということです。そんなに多くの男性が子育てに関与せず、人間性を高めたり磨いたりしない状況は、人類史上初めてのことではないでしょうか。
ある方は言うでしょう「半分以上の女性が未婚でも子どもを産むことが出来るとは、さすが福祉国家だ」と。本当にそうでしょうか?「安心して働いて下さい。子育ては国家がしますから」という国と、「安心して子育てに専念して、立派な子どもを育てて下さい」という国があれば、私は断然後者の方が素晴らしい国だと思います。

言葉を喋れない乳児、自分の意志や感情をうまく表現出来ない幼児の心を読み取ろうと努力する時に、親心が育ち、人間としての成長があると確信しています。