先月中旬のことです。二人の園児が先生に伴われて幼稚園の事務室に入って来ました。「おっ、なんだナンダ」と、思っていると「いつも、ありがとうございます」と言って勤労感謝の日にちなんだ、メッセージカードを贈呈してくれました。同じように園児さんの代表が、普段お世話になっている近隣の病院や、施設、事業所などにも届けました。(ある事業所さんでは、園児の感謝状を額に入れて店内に飾ってありました。有り難いことです)

もともとは「新嘗祭(にいなめさい)」と呼ばれる宮中の大祭の日を、現在では勤労感謝の日としています。五穀豊穣を感謝する祭祀が、戦後になって勤労への感謝をする祝日となりましたが、皆様はご存知でしたか?

さて資源の少ない我が国では、人こそが大切な資源であり、その人が勤勉に働くことが美徳とされ、尊敬されるべき対象でした。ところが、いつの頃だったでしょうか。勤勉さと効率性を天秤(てんびん)にかける時代が到来しました。「真面目だけど、成果は今ひとつ」の人と、「勤務態度は問題があるけど、成果はいつも良い」人とを比較した場合、後者の方が優れた人とみなす社会となったのです。(今はどうか分かりませんが・・・)

その当時、新しいビジネスモデルで大成功し、時代の寵児(ちょうじ)ともて囃(はや)されたある青年実業家は、自分の父親を評して「真面目なだけが取り柄の、つまらない人だった」と記しているのを読み、この人とは友達になれないな(まあ、普通は会うことも出来ませんが)と思ったものです。また最近でも、デイトレーダーといって、一日中パソコンのモニターを見つめて、株式等の取り引きを行い、巨額の利益を得ていることを、さも自慢げに話す若者の映像が紹介されていましたが、私は違和感を通り越して、嫌悪を感じました(貧乏人のヒガミと受け取って頂いても結構です)。そのトレーダーの青年がいくら儲けようが、社会に貢献している訳でなく、誰からも感謝されることも無いでしょう。第一、相場で一億円儲かる人がいたら、誰か一億円損している人(もしくは、これから一億円損する人)がいるということでしょ?「そうじゃない」という詳しい方がいたら、経済に疎い園長に説明して下さい。

私は子ども達に「真面目にやるより、要領よくやりなさい」という教育は出来ません。また「自分さえ良ければ、他の人が泣いてもかまいません」とは、口が裂けても言えません。

そもそも日本人が勤労に対して尊敬の念を持っていたのは、働く姿が常に目の前にあったからです。昔の日本の子ども達は、両親が働く姿を日常的に見ていました。現代の社会では、なかなかそうはいきませんが、親が働くからこそ今の生活が営めることを臆せず語って頂きたいと思います。これが中高生になると「恩着せがましい」と思うかもしれませんが、幼稚園児はそんなことはありません。

あかつきノートに、お仕事で帰宅時間が遅いお父さんが、毎日「今日はどうだったの?」と、必ず子どものその日の様子をお母さんに尋ねる会話が書かれていました。このノートの子は、大きくなって読んだ時に、どんなにかそのお父さんを尊敬することでしょう。